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東京地方裁判所 平成4年(ワ)12453号 判決 1994年8月22日

主文

一  被告は、原告に対し、金四八七万五七三二円及びこのうち金三二六万六七五二円に対する平成六年六月二八日から支払済みまで日歩金一〇銭の割合による金銭を、うち金七九万三五九四円に対する平成四年八月一日から支払済みまで年五パーセントの割合による金銭をそれぞれ支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

理由

一  請求原因について

1  当事者間に争いのない事実

請求原因1項から3項までの事実、同5項の事実のうち被告が平成四年五月本件建物を退去したこと(ただし退去の日については争いがある。)は当事者間に争いがない。退去の日については、被告は二八日であると主張し、原告の主張する三〇日については、これを認めるべき証拠がないから、二八日と認める外はない。

2  これらの事実によれば、原告は、被告に対し、平成二年六月一日から本件賃貸借契約が解除によつて終了した日である平成四年四月一八日までの間の一カ月金二一万七〇〇〇円の割合による延滞賃料合計金四九〇万四二〇〇円、平成二年六月一日から平成四年四月一八日までの間の一カ月金一万八〇〇〇円の割合による共益費合計金四〇万六八〇〇円、本件賃貸借契約が終了した日の翌日である平成四年四月一九日から被告が本件建物を明け渡した日である同年五月二八日までの間の一カ月金四七万円の割合による使用料相当損害金六〇万六五〇〇円及びこのうち延滞賃料分については約定の遅延損害金、その他の金銭については訴状送達の日の翌日である平成四年八月一日から支払済みまで年五パーセントの割合による遅延損害金の各支払義務があることになる。

3  原状回復費用については、原告は、被告の本件建物退去後、カーペット敷替え、壁・天井のクロス張替え、畳表替え、照明器具取替え及び室内クリーニング等の原状回復工事を行い、その費用として六五万六七八五円を支払つたと主張する。確かに、《証拠略》によれば、原告がサイプレスホーム株式会社を介して石切山表具店に本件建物のカーペット敷替え等の補修を依頼し、その費用として原告が同表具店に六五万六七八五円を支払つたことが認められる。しかし、《証拠略》を総合すると、甲第三号証記載の項目のうちカーペット敷替えは、それまで行う必要はなかつたもので、クリーニング(一式一万五〇〇〇円)を行えば充分であつたこと、クロス張替えは、壁及び天井ともやむを得ず、この費用は、合計で二六万八〇〇〇円を要したこと、下地調整及び残材処理の項目はこれを賃借人に負担させる根拠がなく、認められないこと、畳表替えは、取り替えではなく、裏返しで充分であつたこと(単価三六〇〇円の六枚で二万一六〇〇円となる。)、照明器具取替えを被告に負担させる根拠のないこと(そのことは原告の自認するところである。)、室内クリーニングは、一平方メートル当たり単価七〇〇円として認めるべきこと(七七・二六平方メートルであるから、五万四〇八二円となる。)、室外クリーニングは契約の合意項目になく、被告に負担させるべきではないこと、消費税も被告の負担とすべきでないことがそれぞれ認められる。そうすると、原状回復費用として、被告が原告に対し支払うべき金銭の額は、三五万八六八二円となる。

二  抗弁事実について

1  当事者間に争いのない事実

被告に賃貸した部分以外のワコーレ玉川学園A棟の全体は未完成であり、平成元年四月になつて門やフェンスが完成したこと、被告が本件建物に入居後補修工事が行われたこと、本件建物に入居後雨漏り及び室内のカビが発生したこと、被告主張のような賃料減額の請求があつたこと及び被告の支払つた賃料額が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

2  《証拠略》によれば、原告は、本件建物を含むワコーレ玉川学園の賃貸マンションを、「光と風、そして美しいロケーション。ゆとりを満喫するクオリティライフ」とのキャッチフレーズのもと、段状型住宅なので眺望が良いほか、日照、通風など自然の恵みも最大限に得られ、室内には爽やかな光と風が溢れること、暮らしの質を物語る格調高いゲートがお迎えすること、テレビモニター付ホームセキュリティシステムを採用していること等の内容の宣伝をして、借り手を募集していたことが認められる。もちろんこのような宣伝にはある程度は歌い文句という側面のあることは世の常識ではあるが、このような宣伝は、ワコーレ玉川学園が比較的高額の賃料設定をしていることの理由を示すことを一つの目的としており、借り手は、賃料が高めであることをも一つの要素として、その宣伝内容の真実性を判断し、質の高い住環境が得られることを期待して入居するものであるから、その実体にその宣伝内容とかけ離れた点があり、当該賃貸マンションの提供する住環境に、それ程高額の賃料を支払う程の価値がないことが判明すれば、賃料額はその実体にみあつた額に減額されるべきである。

3  前記争いのない事実に《証拠略》によれば、被告入居当時ワコーレ玉川学園A棟の全体は工事が遅れて居室の一部や外溝工事等が未完成であり、工事が絶えず行われ、そのため被告のような初期の入居者は騒音や振動、ほこりが立つことなどに悩まされたこと、ようやく平成元年四月になつて門やフェンスが完成したこと、その後も各室の出窓や花壇への防水剤塗布等補修工事が絶え間なく行われ、騒音等の被害が続いたこと、被告が本件建物に入居後トイレットに雨漏りがしたが、これは通気孔から雨が吹き込んだことによるものであつたので、補修工事を行い、その後は止んだこと、被告の室内にカビが発生し、被告の所持品にもカビが発生する被害が出たこと、カビの苦情は他の相当数の住民からも出たので、原告としては、管理人が居住者の留守中室内に入つてエアコンを二・三時間ドライにするサービスをしたり、居住者へ室内の換気を呼び掛けるパンフレットを配付したり、絨毯をフローリングに取り替えたりするなどの対策を講じたが、被告宅においては被告が他人を室内に入れなかつたため、特別の措置は採られず、被告自らは換気に気を使つていたが、被害は治まらなかつたこと、居室の防音工事が充分でなく、階下や通路の物音が良く聞こえること、以上の事実が認められ(る)。《証拠判断略》

原告は、カビ被害については、被告の不注意によるものであると主張するが、《証拠略》によれば、被告はかなり早くからカビの発生に気付き、その防止のため窓を開けるなどいちおうの対策をとつていたことが認められるのであり、証人島崎二郎もワコーレ玉川学園の賃貸マンションのうち本件建物のように斜面に設置されたものには、水はけの悪いものがあることを認めていることからすれば、本件建物へのカビの発生は、主として本件建物の敷地や構造等に起因するものであり、被告が努力すればおよそ発生が妨げられたものとはいえないものと認めるべきである。

4  以上に認定したような、被告入居後の本件建物及びその周辺の住環境は、原告が宣伝したワコーレ玉川学園のそれとは程遠いものというべく、前記のとおり、本件建物の賃料については、その特殊事情のため、その賃料は減額を免れない。その減額の程度は、減額すべき要因が、住環境の快適さという点に関するものであり、その要因によつて受ける影響には個人差のあること、カビによる被害などは、賃借人においてもつと防止に努力すれば、より軽減された可能性のあることを考慮し、賃料の約三分の一に当たる七万三〇〇〇円とするのが相当である。

5  被告が賃料減額の請求をしたのは、弁論の全趣旨により、昭和六三年一二月二七日より以前であると認められるから、以上によれば、本件建物賃料額は、平成元年一月分から一四万四〇〇〇円に改訂されたこととなる。そうすると、被告が原告に支払うべき賃料及び共益費等の月額は、平成元年一月分から三月分までは一六万二〇〇〇円(前記減額された賃料額に共益費一万八〇〇〇円を加算した額)、同年四月分からは一六万六八六〇円(前月分までの額に消費税相当分四八六〇円を加算した額)となる。

被告が平成二年五月分までの賃料等(平成元年三月分までは月額二三万五〇〇〇円、平成元年四月分以降は月額二四万二〇〇〇円)を支払つたことは当事者間に争いがないから、被告は、減額された賃料額との差額合計一二七万〇九六〇円を過払したこととなり、借家法一二条三項により、賃貸人はこれに年一割の利息を付して返還する義務がある。

一方被告は、平成二年六月分から平成四年四月一八日本件建物の賃貸借契約が解除されるまで賃料等を支払わず、それ以降同年五月二八日本件建物を退去するまで使用料相当の損害金を支払わなかつた(被告は、原告による延滞賃料の催告が過大催告で無効であると主張するが、催告額は四四〇万二五一九円であつたが、実際の未払額は、当時未だ相殺の抗弁がされていなかつた以上、後記のとおり三七七万一〇三六円となるから、必ずしもこの催告が過大とはいえない。)。平成二年六月分から平成四年三月分までの改訂された賃料等の総額に、平成四年三月に支払われるべき同年四月分の賃料等の日割額(三〇分の一八)一〇万〇一一六円を加算した額は三七七万一〇三六円となる。平成四年四月一九日から同年五月二八日までは、被告は、賃貸借契約終了後、本件建物を明け渡さなかつた期間になるから、特約により、賃料及び共益費の合計額の倍額相当額の使用損害金を支払う義務があり、その額は、一六万六八六〇円の二倍の日割り計算(三〇分の一二+三一分の二八)により、四三万四九一二円となる。

6  被告は、カビによる被害を受けたことに基づく損害賠償債権及び書道教室が開設できなかつたことによる損害賠償債権の存在を主張する。

このうちカビによる損害については、《証拠略》によれば、ハンドバック八点(購入価格合計五七万八〇〇〇円)は、北側洋室ワードロープの中に入れておいたもの、靴五点(購入価格合計一六万六〇〇〇円)は、靴箱に入れて玄関の下駄箱に入れておいたもの、コート、スカート等四点(購入価格合計七七万八〇〇〇円)は、北側洋室洋服タンスの中に入れておいたものであることが認められる。前認定のとおり、本件建物に生じたカビは、本件建物の敷地や構造等に起因して発生したものであり、被告が努力すればおよそ発生が妨げられたものとはいえないから、賃貸借契約上賃借物件に隠れた瑕疵によつて生じた損害として、原告においてこれを賠償すべきである。しかし、本件における被害の程度や被害額は必ずしも明らかではなく、被告側において、虫干しをする等もつと注意をすればそれ程の被害が生じなかつたのではないかと考えられることを考慮すれば、これによつて被告が被つた損害の額は、主張額の約三分の一に当たる五〇万七三〇〇円と認めるのが相当である。

次に、書道教室を開設できなかつたことによる損害については、《証拠略》によれば、それまで教室を開いた経験はなく、その後も教室を開いたことはないというのであり、管理棟が完成していないのであれば、その完成までの間自分の部屋に教室を開設することも可能であつたのにそれはしなかつたことが認められることからすれば、仮に開設が可能であつたとしても被告が実際に書道教室を開設したかどうかは疑問であるというべきである。したがつて、これによる損害の主張は採用できない。

そして、《証拠略》によれば、被告代理人は、この損害賠償債権をもつて、前記の賃料債権の残額と対当額で相殺する旨の意思表示を平成四年四月一六日に差し出した原告代理人宛て内容証明郵便によつてしたことが認められ、この郵便は遅くとも一八日には到達しているものと認めるべきである。

前記のとおり、被告は、平成二年六月分から平成四年四月一八日本件建物の賃貸借契約が解除されるまで賃料等を支払わず、その額は三七七万一〇三六円となつており、約定による遅延損害金が当時七日分(同月一二日から一八日までの分)三〇一六円発生していたから、当時の受働債権額は三七七万四〇五二円となつていたと認められる。そうすると、同日の相殺により、遅延損害金の全額及び元金の五〇万四二八四円の債権が消滅したこととなるので、同日の翌日以後三二六万六七五二円の延滞賃料債権及びこれに対する約定の日歩一〇銭の割合による遅延損害金債権が残つたこととなる。

7  被告が過払賃料額を自働債権とし、延滞賃料額等を受働債権として相殺の意思表示をしたのは、平成六年六月二七日の本訴口頭弁論期日においてであり、原告は、延滞賃料について、その支払の催告書が被告に到達した日の翌日である平成四年四月一二日から支払済みまで約定の日歩一〇銭の割合による遅延損害金の支払をも求め、前記のとおり、そのうち平成四年四月一八日までの分は支払済みであり、延滞賃料債権も、平成四年四月一八日の時点において三二六万六七五二円となつた。したがつて、その遅延損害金は、平成六年六月二七日の時点において、二六一万六六六七円となる。

遅延利息については、被告も、少なくとも平成二年四月二八日以降については年一割の借家法所定の割合による利息をも自働債権としているものと解すべきであり、その割合による平成六年六月二七日までの利息は五三万〇三二一円となるから、これらによつて相殺されたものとすると、原告の遅延損害金債権は八一万五三八六円になり、延滞賃料等の元金はそのまま残ることとなる。

三  結論

以上によると、被告は、原告に対し、相殺後の延滞賃料債権三二六万六七五二円及びこれに対する平成六年六月二七日までの遅延損害金八一万五三八六円、右延滞賃料債権額に対する平成六年六月二八日から支払済みまで日歩一〇銭の割合による遅延損害金並びに賃貸借契約終了後本件建物を明け渡さなかつた期間の特約による使用損害金四三万四九一二円並びに原状回復費用三五万八六八二円とその合計金七九万三五九四円に対する訴状送達の日の翌日である平成四年八月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて、原告の請求をその限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中込秀樹)

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